日本キリスト教団 溝ノ口教会愛があります。笑顔があります。 |
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「涙ぬぐわれる日」牧師 竹島 敏イザヤ33・17—22 ヨハネ黙示録7・9—17 『神が彼らの目から涙をことごとくぬぐわれるからである』(ヨハネ黙示録7・17) (私たちが流した涙)これまでの人生において私たちが流した涙、涙にもいろいろあって、悲しい時や悔しい時にだけではなく、うれしい時に流す涙も確かにある。けれども私たちが今まで流してきた涙の数を数えるならば、圧倒的に悲しいときや悔しい時に流した涙の方が多かった、ということではないだろうか。一時的には、もはや悲しいかどうかもわからなくなるほど‥、そのような感覚を一時的に失ってしまうほど、涙を流した‥、という方もおられるのではないだろうか。私たちの人生には少なくとも何度か、そういう局面が訪れるものだと思う。しかし、それでも私たちは‥、うれしいことや楽しいことよりも、悲しいことやつらいことの方が多い、この人生を今日まで生きてきた。なぜだろうか。それにはいろいろな理由があると思う。つらいことがあまりにも多い日常のなかにも、小さな楽しみや、喜びがあるから‥、また、家族のため、友人のため、職場の仲間のために、頑張って生きてきた、という方もおられるだろう。また、生きていく理由など、特に考えるひまもなく、つらい、苦しい、と想いながらも、日々のなすべき事に追われて今日までやってきた、という方も多くおられるかもしれない。(一つの希望)そのような私たちに、今朝のヨハネ黙示録は一つの希望を与えようとしている。いつか神が、そのような私たち一人一人の涙を全てぬぐってくださる、というのだ。ヨハネの黙示録7章17節のところだ。それはいったいいつのことか‥、それは、この世の終わりの時、終末の時であると告げている。確かに私たちが今生かされているこの世、この時代は、正しく、そして誠実に生きようとすればするほど、裏切られ、傷つけられ、悲しみの涙を、また、悔しい涙を流さねばならない、という不条理な時代だ。正しく清く生きたい、という願いなど、いとも簡単に踏みにじられ、あざけられ、高い志をもって歩み続けることが非常に難しい時代だ。けれども、そのような時代のなかを、なおも主にある希望を持って生き抜くなら、この世の終わりの時には、その労苦がむくわれる‥、それまでに流した涙の全てを神はぬぐってくださる‥、心の底のわだかまりも全て取り去ってくださる、というのだ。私たち一人一人の人生において、必ず苦難の出来事は起こってくる。それは大きな事故とか、病気とか、そういうものに限らない。誰でもいつか、一度は、自分の人生の願いや希望を砕かれ、人生は自分の力だけではどうすることもできないことがある、と涙を流し、思い知る経験をするのだ。しかしそのような時こそが、自分自身を見つめ直すチャンスの時であり、主イエスと深く出会うチャンスの時であると聖書は語っているのではないだろうか。(涙ぬぐわれる日へと続く道)この世の終わりの時がいつなのか、それは誰にもわからない。しかし、その救いの完成の時は必ずやってくる‥、主イエスは今、ここから、その救いの完成の時に向けて私たち一人一人と共に歩んでくださる。私たちの流す涙に共感してくださり私たち一人一人に寄り添ってこの世の終わりの時まで、導き続けてくださるのだ。「主よ信じます、助けてください」と祈り、求めるなら、なかなか思い通りにはいかない私たちの人生のなかに、一筋の光が‥、そのような主の道が、あらたに見えてくるのだ。必ずいつか、私たちの流した涙が全てぬぐわれ、労苦がむくわれる時がやってくる‥、そのことを信じて、その時をはるかに望み見ながら、今、主が備えてくださる新たな道を見出し、その道を歩みはじめていきたいと思う。
by mizo_church
| 2009-10-28 22:10
| 礼拝メッセージ集
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