日本キリスト教団 溝ノ口教会愛があります。笑顔があります。 |
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「天に属する者」牧師 竹島 敏イザヤ45章1—7節 ヨハネ福音書一17章1—13節 『イエスはこれらのことを話してから天を仰いで言われた』(ヨハネ17・1) (天を見上げて)今日のこのヨハネ福音書において主イエスは天を見上げて祈っておられます。このイエスの姿を見つめる時、私たちは、天を見上げ、見つめることによって「どんなにこの地上の生が悲惨であったとしても、私たちにとって世界は、この地上だけではないのだ」、と、「私たちにはもう一つの世界、天があるのだ」と、再び、希望を持ち始めることが可能となるように思います。そしてその天には、主イエスがおられます。また、数多くの先に召された私たちの信仰の先達、そして家族や友がおられます。その人たちもまたかつて、御心が天になるごとく地にもなるように、と、この地上において苦闘されました。そして今は天から、主イエスと共に、この地上の出来事と私たち一人一人を見つめてくださっているのだと思います。(最後の一夜)いま私は、14年前‥、私が神学生であった頃、共に机を並べて学んだ同級生、須藤信志さんのことを思い起こしています。須藤さんは風邪をこじらせ髄膜炎になり、わずか1週間で、26歳の若さで、この世から取り去られてしまいました。一年間の学びを終えて2年生になったばかりでした。彼の最後の様子を詳しく記したお母様の手記には、次のようにありました。「信志は入院の最後の頃、高熱で正気を失っていました。しかし、痙攣で身を震わせながらも、ベッドの上で、まるで教会や学校で友達と話しているように、ニコニコしながらおしゃべりを続けました。時には大きな声で歌ったり祈ったり、聖歌隊の人たちにでしょうか、歌い方を注意したり、教会のオルガンの練習をするように指を動かしたりしていました。部屋の片隅に大好きな人が立っているかのように、その方をうれしそうにじっと見続けて話しかけていたこともありました。それらはすべて夢の中であったにせよ、信志の人生で最も楽しいひとときの様に私たちには見えました。その直後、信志は痙攣抑止薬の使用で意識を失いました。信志の人生はわずか26年でしたが、この最後の一夜のように、恵みの神と温かい人たちとに囲まれて大変幸せな時を過ごさせて頂いたと思っております」。(天からの見守り)この14年の間に、私は何度か、強烈に須藤さんのことを思い出すことがありました。それは、思い出す、というよりも、彼の存在が突然、天から降りてきて、私の前にあらわれる、と言ったほうがよいような出来事でした。そのことによって私はずいぶん、慰められ、励まされてきました。そして私以外の同級生の何人もが同じような体験をしている、ということを知った時、私は思いました。「須藤信志さんは、26年のこの地上の生涯を終えて、あれからずっと、そして今も、天から、主イエスと共に私たち神学校の同級生たちを見守り、励ましてくれていたのだ」、と‥。私たちはみな誰もが、いつかこの地上の生涯を終えて、この世を去っていく者たちです。けれども、イエスを主と信じる者たちには、帰っていくべき天が与えられているのです。須藤信志さんもまた、この地上にあった時、天の国をこの地にも‥と熱望して、仕えておられました‥、彼は12歳で洗礼を受け、何よりも教会が大好きで、そして奉仕を断ることがありませんでした。オルガンが上手で1年生の時から神学校の礼拝でも、よく奏楽の奉仕をしておられました。そのような彼が、主イエスと共に天から、いつも、見守ってくれていることを励みに、私もまた天を仰ぎ、天の国をこの地にも‥と熱望しつつ、仕えていきたいと思います。
by mizo_church
| 2010-06-05 00:55
| 礼拝メッセージ集
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