日本キリスト教団 溝ノ口教会愛があります。笑顔があります。 |
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「神の栄光を求めて」牧師 竹島 敏サムエル上1:20-28 ローマ16:25-27 『この知恵ある唯一の神に、イエス・キリストを通して栄光が世々限りなくありますように』(ローマ16:27) (信仰によって)今朝の聖書の箇所の27節においてパウロは、「栄光が神にありますように…」と述べています。そして創世記1章の31節には「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった」とあり、神の創造の初めには、神が造られた被造物それぞれの関係は大変よかった、ということがわかります。そのような状態を見て、神は大変喜ばれた、と記されています。このように被造物同士の関係が、まことに喜ばしいものである時、神の栄光は輝くのだ、ということを想います。なのに神が創造された被造物の秩序…、被造物同士の関係性がこわされていくことによって、神の栄光もまた、失われつつある、というのが実際の現実なのではないでしょうか。このように、実際は闇がますます深まっていくような状況の中に私達は生かされているのです。しかし、よく考えてみるならば、それはパウロが生かされていた時代においても同じであり、その闇のような…、闇がますます深まっていくような現実の中で、あえてパウロは信仰によって、光を見出そうとしていたのだと思います。(聖書の物語に目を向けつつ)今や、私達の目の前に、再びあらわされた光・イエスキリストは、神の創造の初めにあった、被造物同士の喜ばしい関係性を回復させるために、私達のもとに来られた‥、それが、この2011年最初の主日礼拝における、よき知らせ、です。だから今こそ私達は、再び、この聖書の物語にしっかりと目を向け、イエスの御生涯を目で追いつつ、その御足のあとをたどっていく決心をするよう促されているのだと思います。2011年を迎え、最初の主日礼拝のこの時から、私達が再び、聖書の物語を通して、イエスの御生涯をしっかりと見つめ続けていくならば、次第に私達自身の生き方、歩み方に、神様から何らかの促しが与えられるのだろうと思います。この暗闇の世に、たとえどんなに小さく弱くとも光をともしていくために、何をせよ、と神様は言われるのでしょうか。私達一人一人それぞれに語りかけられるその促しの御声に、心を静めて耳を傾けるのが大切なことだと思います。(輝く神の笑顔を求めて)クリスマスから新年を迎えるこの時期は、キリスト者である私達が、一番光を強く感じる季節です。それは、弱まっていた信仰も再び強められる季節であり、そのような中で新しい望みが与えられる季節です。クリスマスから新年を迎えるこの時期は、私達にとって、まさに、新しい希望が与えられることを待つ季節なのです。そして、全ての被造物を造られた神が与えてくださる新しい希望に導かれていくならば、こわされていた他者との関係もまた少しずつ再建されていくのではないでしょうか。そして、そのような過程をへて、神の栄光が取り戻されていくのです。互いに包みあい、抱きしめあうことを忘れてしまった人々の姿に顔をくもらせておられた神に、再び輝きが取り戻されていくのです。そのような輝く神の笑顔こそ、神の栄光なのです。これまで私達の人生において光は強くなったり、弱くなったり、様々でした。でも、光はいつも共にありました。そして今や、再び強く迫ってきているのです。この光なる主を見つめ、神の栄光を求めつつ、新たな希望を見出すために歩んでまいりたいと思います。
by mizo_church
| 2011-01-04 22:10
| 礼拝メッセージ集
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