日本キリスト教団 溝ノ口教会愛があります。笑顔があります。 |
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「主の任命」牧師 竹島 敏申命記7:6-11 ヨハネ福音書15:12-17 『わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい』(ヨハネ15:12) (母親のような愛で)今日のこのヨハネ福音書の箇所を読む時、イエスはここで、まるで母親のような愛で、ひたすら待つ覚悟を決めているのではないだろうかと感じます。「互いに愛し合いなさい」つまり「互いに大切にしあいなさい」、それが「わたしの命令である」と命じつつも、なかなか命じたとおりにはできないだろうことをお見通しの上で、「友よ」と呼び続け、慰め、励ましつつ、できるようになるまでひたすら待ち続ける覚悟を決めておられるように感じるのです。実に私たちは、そのような方に見守られているのだと思います。すれ違いの愛や一方通行の愛に満ちているこの世界の中で私たちは今朝、あらためて、アガペーの愛‥、すなわち互いにその人をその人として大切にしあう道へと招かれ、導かれようとしているのです。(個を生きる)「自分中心」、「自己中心」の根本は、自分の価値観や判断を絶対化する‥、神とする‥、ということです。自分の価値観や判断に頑なにしがみつき、そこから人を見ている限り、その人をその人として大切にするということは出てきません。誰かを愛そう‥、大切にしようとする時、私たちはその人に、自分と同じ価値観や判断を持ってほしいと望みがちですが、もしそうでなかったとしても、その事を受け入れることが、本当の愛に近づくことになるのではないでしょうか。人はみな、それぞれ違う‥、違っていいのだ‥、自分と同じでなくてもいいのだ‥、ということをあきらめとしてではなく心底納得できた時に、本当にその人を受け入れ大切にする‥、愛する‥、ということが始まっていくのだろうと思います。それは、神の御導きのもとで互いに自立する、ということでもあります。それぞれ違う個を生きる、ということです。それは、人は皆、孤独であるということを受け入れることにもつながっていきます。私達それぞれが個を生きる‥、孤独を生きる、ということ‥、そのためには主イエスの愛が必要です。「主イエスだけは、この私の全てを理解していてくださる‥、私はこの方に完全に受け入れられている」、そのような安心感があってこそ私たちは、一人の人を、本当に愛せるのではないでしょうか。(主に信頼して)今朝の聖書の箇所を通して主イエスは、私達を、互いに、まことに愛しあう役割へと任命されました。主イエスの弟子として、隣人を愛していく者になりなさい、と任命されました。主が任命された時には、必ず、その任を果たすだけの力を同時に与えてくださる‥、そのことが、旧新約聖書を通して証されています。まことに、人を、愛する‥、その人をその人として大切にする‥、この主の任命を果たしていくことを通して私たちは、主イエスとの深い交わりのなかで、私という個を慈しんで生きるようになるのです。「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である」と、この私達一人一人にも語りかけてくださっている主イエスに信頼して、まことに人を愛せる者へとさらに一歩一歩、成長していきたいと思います。
by mizo_church
| 2011-07-01 17:02
| 礼拝メッセージ集
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