日本キリスト教団 溝ノ口教会愛があります。笑顔があります。 |
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「肯定の感覚、感情、そして意思」牧師 大倉一郎アモス書○○章◆—◆節 ペトロの手紙一○○章◆—◆節 肥えた牛を食べて憎み合うよりは、青菜の食事で愛し合う方がよい。 (箴言15:17) 1箴言一五・一七は、この短い言葉の中に私たち人間の姿を二つに分けて、対称的に描き出す。先ず「肥えた牛を食べて憎み合う」という人々の姿である。これと対比して「青菜の食事で愛し合う」という人々の姿を語る。一方は牛のステーキを食べられる豊かな人々が敵対し合っている。もう一方は塩味の菜葉だけの貧しい人々が愛し合っている。この人間描写は、前節一五・一六の「財宝を多く持って恐怖のうちにあるよりは、乏しくても主を畏れる方がよい。」という言葉と重ねて考えると霊性的な奥行きのある描写だと分かる。一六節前半は富と権力をもつ人の心には、それを奪われないかという恐怖があるという。なぜ牛ステーキを食べるリッチなエリートたちが憎み合うのか。それはお互いを支え繋いでいるのが富や権力で、それにしがみつくために殺し合う恐怖までも抱え込んでしまうからだ。箴言はその生活は真の平和や幸福とは程遠いと見る。その対極に青菜の質素な食卓を囲む人々がいる。その人々こそ愛し合う可能性をもって生きていると見る。その人々の支えとお互いの絆は神との交わりに立っているからだという(一六後半)。 人間同士の愛は神を忘れ富や権力を頼みとする生き方からは生まれない。愛が生まれないだけではない。富や権力にしがみつく者には恐怖と憎しみ合いがその人生を支配する。結局、神を恐れる精神生活に根ざしてこそ人間同士を本当に繋ぐ愛は強められる。その愛は日常生活の中にお互いの具体的な助け合いとなって現れてくる。 2この箴言の言葉に照らされて、改めて私たちの生活の現実から考えてみよう。人はだれ一人他者との支え合いなしには生きていない。ごく身近な関係だけではない。現代の私たちは、広く日本社会やさらに地球大に広がる関係まで含んで、他者との支え合いなしには生きていない。そのような関係を十分に自覚しなければならない。東日本大震災被災地への国際的救援と原発崩壊の国境を越えた不安の広がりはそれを如実に示した。私たちが箴言の語る愛について深みから理解し始めるのは、どんな人も支え合って生きているという自覚を深く抱くとき。その自覚が現代日本では緊急のものになっている。愛は、他者の生存を脅かさず奪わず、自らの分に事足りて生活する生き方である。その中で他者と結ぶ分かち合いの関係が、現代の箴言の愛である。しかし、多くの場合、私たちのありのままの姿は愛に程遠い。正直に自分を見つめると、自分の心と生活の中に潜む、むさぼりや一人占めの心や行動を認めざるをえない。言うなれば、私たちは愛について語る時にも、愛に欠けている自分が愛を語っている矛盾を持っている。愛に欠ける者。それは自分であると認めるところから始めるほかない。そういう自覚に立って、直接に出会っている、いないに関わらず、他者の存在に関心を持ち、その人への関心を強め、肯定の感情を育て、肯定の意思をもって、行動する事実を重ねることから始めなくてはならない。 3長谷川修平の『長谷川君きらいや』という障碍をもった作家の体験に基づく作品がある。長谷川君は、クラスメイトの友達にピクニックに一緒に行きたいと言った。その子はつぶやいてしまう。「でも長谷川君は足手まとい。」実際、ピクニックの途中で長谷川君はへばってしまい、おんぶ。すると雨。全然楽しくなかった。その子は叫ぶ「長谷川君きらいや!」その子は長谷川君のお母さんに尋ねる。「長谷川君どうしてあんなん?」。お母さんは話してくれた。「あの子は、赤ちゃんのときにヒ素入りミルクを飲んでしまって、ああなったんや…。仲ようしてね。」それからも、相変わらず、長谷川君は、泣き虫、鉄棒もできん、ぐずぐず、その子は叫ぶ。「やっぱり長谷川君きらいや…。長谷川君、しっかりして、長谷川君……。」 毒入りミルクをあかちゃんの柔らかい体内に注ぎこんでもうけた悪いやつがいる。むさぼり、偽り、他者の生存を脅かす、これが愛と対立する生活である。他方、長谷川君きらいや!と繰り返しながら、長谷川君の傍らを離れず、「やっぱり長谷川君きらいや…。長谷川君、しっかりして、長谷川君……。」と語りかけるひとりの少年がいる。彼は大人のようには語れない。しかしそのまっすぐな心は長谷川君に強いられた不正に憤りを直感しているようだ。またその柔らかい心は長谷川君の痛みを深く感じ取っているようだ。この少年のふるまいは愛の根幹に触れているのではあるまいか。私たちは不正を強いる社会やその犠牲の痛みを負う人々に対してどんな関心と共感と知性を磨こうとしているであろうか。「三・一一」以降、初めての平和聖日に改めて自分と社会を聖書の戒めの言葉の下でふり返ってみよう。Ω
by mizo_church
| 2011-12-01 20:34
| 礼拝メッセージ集
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