日本キリスト教団 溝ノ口教会愛があります。笑顔があります。 |
カテゴリ
以前の記事
検索
その他のジャンル
画像一覧
|
エレミヤ書31:15~17 マタイによる福音書2・13〜23
福島の原子力発電所の事故により避難したある生徒は「避難者」と呼ばれること等々、避難した子ども達へのいじめが、各地で起こっているというニュースが私たちに衝撃を与えています。子どもの問題、子どもの事件は、大人社会を映しだしているといわれます。最も弱い立場に置かれた者へのいじめは、国家規模でもまかりとおっています。沖縄、辺野古米軍基地の問題は、立法府だけでなく、司法の世界でも、沖縄の痛みに無理解な判断が下されています。弱い者をさらに追い詰める闇は、この世をおおい、やさしさ、思いやりをかき消すようであります。それはまた、私たちの内にも潜んでいます。「あながたは世の光である。ともしびをともして升の下に置く者はない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい」とイエスは語りました。 イエスが「あなたがた」と呼びかけるのは弟子たちです。そして今、私達へも語られています。 クリスマスは神の子イエスの誕生を祝います。イエスは、貧しい馬小屋で生まれました。宿屋がイエスを拒否したことは、この世が救い主である神の子をしめだしているかのようです。一方で、イエスの誕生を祝ったのは律法を守ることのできない者、野宿をする羊飼い、また、ユダヤ人が救いはないと軽蔑する異邦人の星の学者であります。ユダヤの民にとって救いはないといわれた者たち、そのような者たちが神の子イエスの誕生をお祝いしたのです。救いは神様から遠く離れているかのような者、見下されている者たちにおよんでいることを教えています。 神の子としての生涯を全うしたイエス。父ヨセフ、母マリアの子として生まれたイエスは、大工の父親の仕事を手伝い、律法の書を学び成長しました。そして、ガリラヤで宣教を開始しました。苦しみにいる者に寄り添い、助け、悲しむ者と共に悲しみの涙を流し、嘆きの叫びをあげ、時に弟子達のイエスへの無理解、権力者への傲慢に怒りを発し、神の国と救いの道を示し続け、十字架につけられ、終わりをとげるのです。 その生涯は、神様から見放されているようで、神様の御手のうちにあり、神様の愛から遠く離れているような歩みでありながら、最も神様に近いところにおられ、神様に見捨てられているようでありながら、神様の救いに与り、十字架上で生涯を閉じ、よみがえり、天にのぼりました。 ここにあるクランツのロウソクの光は強い光ではありません。ロウソクは燃えることによってロウをとかし、消えてなくなります。自らを溶かして光を放ち続けているのです。光を放つために、ロウはとけていくのです。 イエスに「あながたは世の光である」と呼びかけられた私たち。私たちも、他者のために自分を与える聖なるロウソクとなるべく、神様から命を与えられました。内なる闇に光を照らすキリストは、私たちに社会的に弱くされた方たちの声を聞かせます。そこにこそ、光を見出すことができることを、私たちは信仰をもって受け止めたいのです。人の世の冷たさ、片隅を照らす光、その光に連なる者となりましょう。 私たちは小さな神様の愛を持ち寄りましょう。その愛を灯し続け、生き抜くよう、一人ひとりに命が与えられ、キリストに導かれていることを覚え、お祈りいたしましょう。
by mizo_church
| 2017-01-06 22:05
| 礼拝メッセージ集
|
ファン申請 |
||