日本キリスト教団 溝ノ口教会愛があります。笑顔があります。 |
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「キリストのゆえに」出エジプト記12・21~27/ヘブライ9・23~28『キリストも、多くの人の罪を負うためにただ一度身を献げられた後、二度目には、罪を負うためではなく、御自分を待望している人たちに、救いをもたらすために現れてくださるのです。』 (ヘブライ9・28) <ただ一度身をささげられたイエス>今朝のヘブライ人への手紙の28節においては、キリストがかつてこの地上に来られ、ただ一度、身を献げられたということが述べられています。イエスはただ一度、十字架の上にご自身の身を献げられた…、「多くの人の罪を負うため」に…。そして天の聖所に入られた…、その天の聖所に入られたイエスキリストが、天から再び来られるのは、この世の終わりの時、終末の時であると言われています。今日のヘブライ人への手紙のひとつの大きな特徴はこの終末を待望する想いの強さなのではないでしょうか。26節を見ると、「キリストは世の終わりに、ただ一度ご自身をいけにえとして献げるために、現れてくださった」と記されており、キリストがこの地上に与えられた時点で本当にすぐそこまで世の終わりが近づいてきている、という待望の想いがあらわれています。そしてキリストが天に昇られた今や、二度目にあらわれてくださるのは、もうすぐだ、という終末への強い待望の想いが感じられるのです。今日は世界聖餐日ですが、当時の弟子達もまた、自分たちの罪がキリストの十字架のあがないによってゆるされていることを心から感謝しつつ、主の晩餐・聖餐の時を持ち、主が再び来てくださる終末の時をひたすら待っていたのではないでしょうか。 <分裂した世界のなかで>今日は世界聖餐日、世界中の様々な教派の教会が、同じ主の聖餐を受ける…、受けている、ということ…、それはいったい何を意味しているのでしょうか。私達が生かされている世界は分裂した世界であります。いたるところに分裂があります。国家と国家の間に、また一つの国の内部に、企業に、学校に、家庭に…。そのようにいたるところに分裂があります。一つの教団や教会の中にさえ、分裂がある…、私達の属する日本基督教団にもまた、様々な亀裂があります。共に聖餐にあずかる諸教会の共同体もまた、様々な亀裂や分裂を抱えた、まことに不十分であり不完全な姿であるということを私達は率直に認めなければなりません。そのような状況のなかで主イエスは、ご自身の体を裂かれ、血を流されたその姿を、私達の前にあらわし、ご自身の体と血を、私達一人一人に、与えようとされるのです。それが、聖餐において主がとりおこなってくださることです。 <裂かれた主のからだにあずかって…>私達はこの後、主イエスの聖餐の業にあずかります。その時には主イエスはこの礼拝堂の十字架の上から再び、そこにつけられた姿をわたしたちに示しつつ、とって食べよ、とって飲め、と語りかけてくださるのです。そしてその時私達は自分たちの分裂した状態をあらためて深く認識すると同時に再び一つとされる時に向かって力強く押し出されていくのです。今朝のヘブライ人への手紙の26節以降に記されてあるように確かにキリストの十字架の出来事は一回限りでありました。しかしそこで完成したのは「多くの人の罪を負う」というキリストの業であり、それで救いが完成したわけではありませんでした。しかしますます世界の分裂が深刻化するような状況のなかでキリストは、ご自身の十字架上での姿を私達に示し続けながら、ご自身の肉と血を私達に分け与え世界の分裂を修復させ回復させる方向へと導こうとされるのです。そのような主が私達と共にいてくださり、救いが完成する時へと導いてくださることに希望を持って、この世界聖餐日の朝、ご一緒に主の聖餐の業にあずかりたいと思います。
by mizo_church
| 2006-10-01 12:31
| 礼拝メッセージ集
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