日本キリスト教団 溝ノ口教会愛があります。笑顔があります。 |
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「主に対してするように」牧師 竹島 敏創世記24章62~67節 コロサイ3章18節~4章1節 『何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から行いなさい』(コロサイ3章23節) 聖書の背景「妻たちよ、主を信じる者にふさわしく、夫に仕えなさい。夫たちよ、妻を愛しなさい。つらく当たってはならない」。今朝、私たちに与えられたコロサイの信徒への手紙3章18節19節の言葉だ。ここでは妻たちにも、夫たちにも、勧めがなされているわけだが、あくまでも夫は妻の上位におかれ基本的に妻は夫の下位にあって、言いなりになることが求められているわけだ。さて、現代において、このような勧めを、そのまま受け止めることはまず、不可能だと思うし、また、そうする必要もないことだと思う。むしろ私たちは、ここに書かれていることの時代的な背景をよく見て、パウロやパウロの弟子達もまた、この頃の時代の価値観から逃れることはできず縛られていたのだ‥、と認めるところから始めて、この箇所を繰り返し読んでいくことが大切なのではないだろうか。パウロの欠けコリントの信徒への手紙二の12章9節において、「キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」と告白したパウロ‥、おそらく生涯、治癒することのなかった持病とのつきあいのなかで、自らの弱さのなかにキリストの力が発揮される場所があることを身をもって知ったパウロ‥、しかしその一方で、そのようなパウロが、女性に対しては非常に強い差別意識を持っていたのだとしたらそれは、どんな人間でも、人間である限り限界があり、欠けがある、ということの証なのではないだろうか。パウロもまた、全ての差別から解き放たれていたわけではなかった、ということなのかもしれない。パウロもまた、私たちと同じように、もがき苦しみながら主キリストに仕え、従うことを深めたいと願う一人の欠け多き罪人であった、ということなのではないだろうか。そのような意味において今朝のコロサイの信徒への手紙は、パウロの欠け、が鮮明にあらわれている箇所だと言わねばならないのかもしれない。罪の現実を抱えて歩むしかし、そうだとしてもなお、コロサイの信徒への手紙4章1節における「主人たち、奴隷を正しく、公平に扱いなさい。知ってのとおり、あなたがたにも主人が天におられるのです」、というこの締めくくりの言葉は、本当に大切なことを私たちに伝えようとしている。それは、どんな立場の人の傍らにも、全ての人の主人が立っておられることを信じ、その主人に仕えるように行動するということだ。その一事に集中する時、まさにこの世界に、まことの平和をもたらすための第一歩が始まっていく‥、主イエスが、かけがえのない一人一人を愛される仕方で、一人一人が尊重される道が開かれていくのだ。結局パウロも、パウロの弟子達も、当時の差別的な価値観を乗り越えることはできなかった。しかし、どんな立場の人の傍らにも、全ての人の主人が立っておられることを信じ、その主人に仕えるように行動する、という神の国への道を提示し、自らも、大きな矛盾を抱えつつも、その道を歩み続けた‥、ということに私たちは注目すべきなのだろうと思う。私たちもまた、その道を歩んでいくなかで、知らず知らずのうちに、大きな矛盾や誤りを抱え込むことがあるのだろう。しかし、パウロやパウロの弟子達もそうだったということを覚え、またそのような現実の姿を、聖書は包み隠さず私たちに伝えていることを覚えて、私たちもまた、私たち自身のその現実を包み隠さず告白しながら、主の憐れみと導きをどこまでも求め続けていきたいと思うのだ。
by mizo_church
| 2009-09-14 23:20
| 礼拝メッセージ集
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