日本キリスト教団 溝ノ口教会愛があります。笑顔があります。 |
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「つながるいのち」牧師 竹島 敏創世記15・1—7 マルコ福音書12・18—27 『アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた』(創世記15・6) (系図)アブラムは神様から特別に選ばれ、この後アブラハムと呼ばれるようになり、そして忠実に主を信じ続けたゆえに子孫も祝福され、神様の働きを受け継ぐ人にされていく。聖書のなかにはその系図が描かれている。聖書の時代の人達は、このようないのちのつながりを、とても大切にしていた。それで、系図を書いて残したのだ。しかし今朝はこの系図について、大切なことをお話しておかなければならない。そもそも人間の系図は、神様から始まってアダムとエバ‥、そしてその後は人間の血のつながりに従って、どんどん増え、分かれていった。そしていくつもの系図に分かれていくなかでやがて、自分は、この系図につながっている人間だ‥、ということで、自慢したりする人が出てきたのだ。また、逆に、あの人は、あの系図につながっている人間だ‥、ということで、馬鹿にされたり、差別されたりする、ということも起こってきた。むずかしい言い方になるが、その人の血筋、が大切にされるという時代になってきたのだ。今でも、そういうことはあると思う。家柄とか血筋、で、その人を見る、という見方がある。(イエスの系図)けれどもイエス様は、そのように人を見る、という見方を拒否された。何よりもイエス様の系図が、家柄とか血筋、で、その人を見てはいけない、ということを私たちにはっきりと示しているのだ。新約聖書の一番最初、マタイによる福音書の1章に、イエスキリストの系図がある。これは、聖書にある系図のなかで、もっとも大切な系図だと私は思っている。「アブラハムの子ダビデの子、イエスキリストの系図」とある。アブラハムから始まって、イエスのおとうさんのヨセフまで、ずっと系図が続く。血のつながりが示されている。そして最後にイエス様の名前が記されている。けれども、おとうさんのヨセフとイエス様とは血のつながりはないのだ。イエス様は、ヨセフとマリアがまだ結婚する前に、聖霊によってマリアに宿った子どもだ。だから、ヨセフとイエス様には血のつながりはない。ここで、血のつながりは切れているのだ。しかし‥、にも関わらず、この系図は、「アブラハムの子ダビデの子、イエスキリストの系図」と高らかに宣言するのだ。つまり、血のつながりが大切なのではない、と‥、大切なのは、神様にしっかりとつながっているかどうか‥、その、いのちに、しっかりとつながっているかどうか‥、その、愛を、しっかりと生きているかどうかだけだ、と宣言しているのだ。それが、このイエスキリストの系図なのだ。(イエスのいのちにつながって)この世の中にはいろんな見方がある。幼い頃は気づかなくても大きくなるにつれて、いろんな見方をされていることに気づき、傷つくこともあるかもしれない。けれども今朝私たちは、一番大切なのは神様にしっかりとつながっているかどうか、そのいのちにしっかりとつながっているかどうか、その愛をしっかりと生きているかどうかだけなのだということを覚えて、それぞれのところに帰っていきたいと思う。私たちのいのちは何よりもイエス様のいのちにつながっている。そしてイエス様を信じる人達のいのちとつながっている。私のいのちはわたし一人のものではないのだ。神様の見守りとお導きのもとに、いろんな人のいのちが関わりあって、その、いのちといのちの関わりあいで、慰められたり励まされたりしてこの私のいのちは輝き続けることができる‥、必ず輝き続けることができる‥、この、聖書の約束を信じて、神様からの祝福をいただきたいと思う。
by mizo_church
| 2010-01-10 22:57
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