日本キリスト教団 溝ノ口教会愛があります。笑顔があります。 |
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「途方にくれて」牧師 竹島 敏エレミヤ31:27-34 マルコ1:12-15 『それから、“霊”はイエスを荒れ野に送り出した。』(マルコ1:12) (荒れ野の誘惑)今朝、私たちに与えられましたのは、イエスが荒れ野に送り出され、そこで40日間、サタンから誘惑を受けられた、という記事です。具体的に、どのような誘惑を受けられたのか、については、マタイによる福音書とルカによる福音書の方に詳しく記されています。それによれば、最初の、「この石をパンに変えてみよ」、という誘いに対しては、「人はパンだけで生きるものではない」と答えて、退けられました。そして次の、「もしサタンを拝むのなら世界の全ての権力と繁栄とを与えよう」という誘いに対しては、「あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ、と書いてある」と答えて、退けられました。そして最後の「神の子であると言うなら、ここから飛び降りてみよ、きっと神が助けられるであろうから‥」、という誘いに対しては「あなたの神である主を試してはならない、と言われている」と答えて、退けられました。つまりイエスは、困難な状況におかれた時でも、その困難を直ちに回避することを最優先しない、と、ここでご自分の態度をはっきりと表明されたのでありました。最優先すべきは、神の言葉に従い続けること、困難を回避するために手段を選ばず、という方法はとらないと‥、イエスは、ご自分の態度ではっきりと示されたのです。様々な苦難のなかで、ただちにこの苦難から逃れられる道が目の前にあったとしても、それが、神の言葉・神の御心に反するものであるならば、その道を選ばない、ということです。なお苦難の道を歩みつつ、神の言葉・神の御心に従い続けることによって最終的な解決を待つ、ということです。(誘惑を超えさせる力)しかし実際には、私たちが持つ願いのなかには、切実なものも多くあり、一刻も早く、かなえてくださることを訴えないわけにはいかない場合もあると思います。しかしながらいっこうに希望が見えてこない、ということもあると思います。途方にくれて、いっそ、キリスト教以外の他の宗教をも含めて、今の自分の切実な願いをかなえてくれるものにすがりつきたい‥、そういう誘惑に負けそうになることもあるのではないかと思います。かつて私にもそのようなことがありました。しかし結局、私はまた、キリスト教にもどってきました。というか、イエスにもどってきました、イエスと共に歩む道へと戻ってきました。結局私は、イエスと別れることはできなかった‥、イエスほど憐れみに満ちた方を、結局私は、他のどこにも見いだすことができなかったのです。私の弱さや愚かさを赦し、何度もやりなおしさせてくださる‥、私と一緒に泣き、この心をぎゅうっと抱きしめてくださる、そして、生きている時だけでなく永遠にあなたと共にいる、と約束してくださった‥、そんな、憐れみに満ちた方を、私は他のどこにも見いだすことができませんでした。(人生の荒れ野にて)人生の荒れ野において、私たちはいろんな試練を受け、また、多くの誘惑に出会います。そのなかで、教会に通い続けることに果たして意味があるのか‥、自分が、クリスチャンであり続ける必要があるのだろうか‥、という疑問がわいてくることもあるのかもしれません。しかし、そのような時こそ、かつて主イエスが出会ってくださり、語りかけてくださったことを‥、そのぬくもりを、思い起こしてみたいものだと思うのです。私たちの主イエスキリストは、今も、私たち一人一人の痛み苦しみを、共に担って歩もうとしておられます。今一度、心を開いて、この主を受け入れ、主と共に歩む想いが心に満ちてくるよう、祈りをあわせたいと思います。
by mizo_church
| 2010-03-21 19:55
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