日本キリスト教団 溝ノ口教会愛があります。笑顔があります。 |
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「復活の意味」牧師 竹島 敏創世記3章8節—13節 ヨハネ20章11節—18節 『マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、「わたしは主を見ました」と告げ、また、主から言われたことを伝えた』(ヨハネ20・18) (出会いの意味)今朝のこの箇所は、マグダラのマリアと復活の主イエスとの出会いを記しています。そしてこの時を境に、マグダラのマリアを始めとして、復活の主と出会った弟子達など皆が、もうこれからは、主イエスと顔と顔とをあわせて、手と手をとりあって、生きていくことはできない‥、そのような交わりの時は終わった‥、ということを痛感していくのです。これからは祈りのなかで、かつて主がしてくださった業、また、語ってくださった言葉、その一つ一つを想い起こしながら、神の国へと向かう働きを担っていくのだ‥、それがこれからの自分たちに与えられた使命なのだと悟っていくのです。そしてそのような新たな志のもとに、祈りあい助けあいながら、主イエスの業に仕えていった弟子達でありました。(よみがえりの意味)そして彼らもまた、それぞれ地上の生を終えて離ればなれにされる時がくるわけですが主イエスとの霊的な交わりを体験し続けてきた彼らにとって肉体の死は必ずしも決定的な別離を意味してはいなかったということを私達は知っておかなければならないでしょう。この地上において離ればなれになる時がやってきても弟子達は主イエスとの霊的な交わりを中心にして先に召された人達とも交わりを続けていくことができると信じていたし、また実際、そのような交わりを体験し続けていたのだと思います。そのような永遠の交わりのなかで彼らは死別した人の姿や言葉が心のなかによみがえってくる体験を何度も何度も味わい、その体験によって慰められ励まされて、困難な宣教の業をなし続けていったのだろうと思うのです。(永遠の交わりに支えられて)そのように思い巡らす時、私達にもまた、そのような永遠の交わりが与えられていることを想います。現代の弟子である私達同士の交わり‥、その地上での交わりは確かに限りあるものであっても、主イエスとの霊的な交わりを十分にしていく時、そこに、先に召された人達との霊的な交わりがおこってくるのです。主イエスとの霊的な交わりを中心に、先に召された人達とのそのような交わりがおこってくるのです。そのような形で私達もまた、先に天に召された方々と、より深くより密接な交わりを持つことができるのです。私達は今、先に天に召された方々のことを想いつつ、このイースター礼拝をお献げしています。イースターは、主イエスが復活されたことを喜び感謝する日ですがそれは、天と地という距離を超えて、主イエスと弟子達との霊的な交わりが深められていくその出発点でもあったということを覚えておきたいと思います。主の復活と昇天という出来事は、そのように当時の弟子達と主イエスとの関係を新たなものにしたのです。そしてそのような霊的な交わりは、この地上の生を終えても続けられ、そのようにして主イエスを中心とする天と地をつなぐ交わりが豊かにされていったのです。イースターのこの朝、私達もまたこの霊的な交わりに招かれているということを深く覚えたいと思います。私達もまたやがて、この地上を去っていく者達です。しかし私達が今、復活の主イエスとの霊的な交わりに深くあずかっていくならば、天と地をつないでくださる復活の主の導きによって、先に召された人達とのより親密な交わりが与えられるのです。私達の主は、私達一人一人の名を呼んで、慰め、励まし、そして私達の心の中に、先に召された愛する人の、声や言葉や姿を、よみがえらせてくださる復活の主なのだということを感謝をもって受けとめたいと思います。
by mizo_church
| 2010-06-05 00:37
| 礼拝メッセージ集
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