日本キリスト教団 溝ノ口教会愛があります。笑顔があります。 |
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「わかりあうために」牧師 竹島 敏ヨシュア1章1—9節 使徒言行録2章1—11節 『すると一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした』(使徒2・4) (聖霊の業)聖霊降臨のあの日、そこで起こった大切なことは、神様からの風、つまり、聖霊を受けたお弟子さんたちが、いろんな国の言葉で話しだした、ということです。そこにはイエス様のお弟子さんたちの他にも、大勢の人達が集まっていました。外国で生まれて長い間、そこで暮らして、ようやくエルサレムに帰ってきた‥、という人も多くいました。今日の聖書の箇所の5節、6節のところをみると、次のように記されています。「さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰ってきた、信心深いユダヤ人が住んでいたが、この物音に大勢の人が集まってきた。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった」と。つまりこの人たちは、イエス様のお弟子さんたちから、それぞれ自分の生まれ故郷の言葉で神様のお話が聞けて、大変、喜んだのです。(聖霊の愛)私は、この人たちの喜びようが何となくわかるような気がします。人は誰でも、自分の生まれ故郷の言葉に特別な愛着を持つものなのではないでしょうか。私は神戸市の「垂水」というところで生まれて、中学1年生までそこで過ごしましたけれども、東京に引っ越してきてからも、たまに、神戸の親戚や友達を訪ねて行くときなど、新幹線で新大阪の駅を降りて各駅電車に乗ると、あたりまえのことですが、みんな関西弁で話していて、何かとても心が落ち着いて、安心する、ということがよくありました。東京に引っ越してきてからも、家ではみんな関西弁でしたし、今でも、母と電話で話をする時には、自動的に関西弁になります。「それが自然で、一番、心が通じ合う言葉‥」、それが、生まれ故郷の言葉なのではないかと思います。ここでイエス様のお弟子さんたちは、集まってきた大勢の人たち一人一人それぞれに対して、それぞれの生まれ故郷の言葉‥、つまり、その人たちが一番安心する‥、一番ほっとするであろう言葉を使って、神様のことを伝えたのです。なぜ、そんなことができたのか、不思議な気もしますけれども、ここで言われていることは、神様の風‥、つまり聖霊を受けると、私たちもまた、出会う一人一人に対して、そのようなやさしい気持ちになれる‥、ということです。イエス様のお弟子さんたちは、そこに集まってきた人たち一人一人に、ただ、神様のことを伝えるだけではなく、その一人一人がそれぞれに、一番安心できるような方法で伝えよう‥、と、そこまで一人一人の立場にたって考え、行動した‥、行動できた、ということです。(愛に向かって成長する)神様の風‥、聖霊を受けた人は、そういうことができるようになっていく、というのです。心を込めて一生懸命お祈りしていくなら、私たち一人一人にも必ずこの、神様からの風、聖霊が与えられます。そして神様からの風、聖霊は、私たち一人一人を、かつてのイエス様のお弟子さんたちのように‥、そのような愛にあふれた人へと成長させてくださるのです。今日はペンテコステ‥、イエス様が復活して50日目に、熱心に祈り求めていた弟子たちの間に聖霊・いのちの風が与えられ、教会が誕生したことを記念し感謝する日です。私たちも今日、あのお弟子さんたちのように心をあわせてひとつになってお祈りして、神様からの風・聖霊をいっぱいいただきたいと思います。そしてイエス様を感じて、元気をとりもどし、力強く歩いていきたいと思います。
by mizo_church
| 2010-06-05 00:56
| 礼拝メッセージ集
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