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「神の相続人」牧師 竹島 敏申命記6:4-9 ローマの信徒への手紙8:12-17 『あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです』(ローマ8:15) (霊に従って)今朝のローマの信徒への手紙において使徒パウロは「私たちは神の相続人である」と語っています。「しかもキリストと共同の相続人である」と。何を相続するのか‥、それは一言で言うなら、神の最終目標である「神の国」だ、と言えましょう。御子イエスは、天の神の国をこの地上にもたらす業を完成させることはできずに天に帰っていかれましたが、天から御自身の霊・聖霊を送り続け、あとに続く弟子たちと共にその業を継続しようとされました。使徒パウロもまた、聖霊に満たされて、その業へと導き入れられ、困難な道を歩み続けてきました。この箇所においてパウロは、「霊に従って生きよ」ということをひたすら強調しています。「霊」、すなわち聖霊に従って生きるならば、あなたたちは「神の子」とされる、と14節以下において語られています。様々な苦しみや困難を乗り越えて、「神の子」として歩んでいける、と語られています。(虚無に服している時代のなかで)そして確かに16節以下には、私達は神の子であり、神の相続人である…、と記されていますが、そのためには「キリストと栄光を共にするために苦難をも共にする」ことが不可欠であるとも述べられています。実際には、私達が生かされているこの世界には様々な悩みや苦しみが満ちているわけですが、このローマ書は、そのような状況の原因に「虚無」、ということがある‥、と説明しています。「被造物は虚無に服している」‥、今朝の箇所に続くローマの信徒への手紙8章20節は、そう語っています。心の中がむなしく、生きていても意味がないように感じてしまう‥、とか、このまま、ここから消滅してしまいたい‥、というような感覚、それを、虚無、というのであるならば、まさに、このローマの信徒への手紙の時代のみならず、今、私たちが生かされているこの時代こそ、虚無におおわれた時代だ、と、言わざるをえないのではないでしょうか。全ての被造物が、この世界に存在し続けることの空しさを感じながら生きている、否応なくそのような空しさを強いられて生きている‥、そのような世界の状況をパウロは「被造物は虚無に服している」という言葉で言い表したのでありましょう。(神の子とされる霊を受けて)しかし15節においてパウロはこう語っています。「あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、『アッバ、父よ』と呼ぶのです」と。パウロが生きた時代にも、私たちが今生かされている時代にも、物やお金に人の心を縛り付ける霊など、様々な霊が存在しています。しかし、私たちは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けて、本来の自分らしく、生き生きと歩んでいく力をいただいているのです。あまりにも目に見えるものにとらわれ、ふりまわされている私たち‥、なのかもしれません。しかし、目に見えるものにとらわれ、ふりまわされる日々から解放されるために、そして、うすっぺらではない本当の生きる希望を見いだしていくために‥、そのような神の国の希望を見出していくために、まず、私たち一人一人に与えられている心の目で聖霊をしっかりと見つめ、そしてその霊の導きによって、聖書の言葉に深く聴き、その聴き取った意味をしっかりと生きる‥、そのような歩みを一歩一歩積み重ねてまいりたいと思います。
by mizo_church
| 2010-09-11 10:56
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