日本キリスト教団 溝ノ口教会愛があります。笑顔があります。 |
カテゴリ
以前の記事
検索
その他のジャンル
画像一覧
|
「聖霊の働き」牧師 竹島 敏サムエル上16:14-23 使徒16:16-24 『イエス・キリストの名によって命じる。この女から出て行け。』(使徒16:18) (パウロの癒しの業)今朝の使徒言行録の箇所には、パウロとシラスが、占いの霊にとりつかれていた女性から、その霊を追い出した、ということが記されています。彼女は幾日もわたってパウロとシラスの前にあらわれ、叫んだ、と聖書は記しているわけですがそれはやはり、救いを求めての叫びであった、と私は思います。そしてパウロは、この彼女の叫びに応じて、主イエスの霊を呼び求めたのでした。18節の「イエスキリストの名によって命じる。この女から出て行け」、というパウロの言葉は、このような経緯で放たれた言葉だったのです。パウロは常に、一心にイエスを見つめ、その姿にならって生きていました。ですからその癒しの業もまた当然、イエスにならった形で行われていったわけです。つまり、形式的にイエスの名を借りイエスの名を唱えるだけではなく、かつて、イエスがなさった業を、今、ここにおいても実現させようと本気で取り組んでいた、ということなのです。この女奴隷の身の上に起こったことは、まさに、そういうことだったのだと思います。(主が共にいてくださるなら)しかしそれは、この女奴隷の主人たちの金儲けの手段を取り上げる結果になりました。そしてパウロとシラスは投獄されたわけですけれども、しかし彼らは決して落胆しなかった‥、決して心地よい、喜ばしい状況になかったにもかかわらず、主イエスが共におられる、という平安と喜びに満たされていた、ということなのです。今日、ここから、私達は非常に大切な教訓を得たのだと思います。つまり、私達にとって大切なのは、今、この状況が自分たちにとって順境なのか、逆境なのか、ということではない、ということです。そうではなく、共にいてくださる主イエスを実感しているのかどうか、それが最も大切なことなのです。共におられる主を実感するためには、主が放つ光を受けて、輝かなければなりません。私達は、聖書に記されている主イエスの言葉とふるまいから、主が放っておられる光を感じ取り、その光を反射させて生きていくよう、促されているのだと思います。パウロやシラスのように私達もまた、そのように定められ、聖霊によって導かれているのだ、と思うのです。もちろん私達は一人一人、様々にちがった人生経験をもって、ここに集められています。しかし今朝、私達が聖書の言葉から促されているのは、どんな人でも、大小にかかわらず、様々な失敗や挫折、すなわち逆境におかれた経験があるのだから、その経験を心のなかに封印してしまうのではなく、その逆境の時に、主イエスに願ったこと、祈ったことをしばしば思い起こしてみなさい、ということなのではないでしょうか。(悲しみは用いられる)そして今、苦しみのなかにある人、差別されて、地の片隅においやられている人の、主イエスに対する痛みや叫びと共感できる部分を探していくことが、私たちにできるひとつのつとめなのではないかと思うのです。どんな人にも、失敗や、挫折、すなわち逆境におかれた経験があり、その内容は様々に違っていても、苦しみや悲しみがある…、そしてその苦しみや悲しみこそが、主イエスの光を生き生きと反射する鏡として用いられると知っている人は誰でも、パウロのように豊かに用いられ、新たな出会いを生み出していくのだということを御一緒に確認しておきたいと思います。
by mizo_church
| 2010-09-11 11:02
| 礼拝メッセージ集
|
ファン申請 |
||