日本キリスト教団 溝ノ口教会愛があります。笑顔があります。 |
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「時を読む」牧師 竹島 敏エレミヤ書13:1-11 ルカ5:33-39 『その時には、彼らは断食することになる』(ルカ5:35) (神の国のしるし)ファリサイ派の人たちは断食をしないだけでなく大宴会を催して酒を飲んだりごちそうを食べたりしているイエスたちがゆるせませんでした。しかもそこに「罪人」とされている人々を招いて、そのようなことをするなどとんでもないことに見えたわけなのでしょう。しかしイエスにとって宴会の食事とは、たんに楽しく飲み、食べるということではありませんでした。イエスにとって宴会の食事とは実に、神の国の宣教を特徴づける「しるし」としての行為でした。「この世の終わりが来る時、神の国が完成する‥、神の支配が完全に成就する‥、その時には『罪人』と一方的に決めつけられて虐げられ差別されてきた人たちの権利や名誉が完全に回復される‥、その『しるし』として今、私は、『罪人』と一方的に決めつけられて虐げられ差別されている人たちと共に、喜びの宴会をするのだ‥、」それが、イエスにとっての宴会の食事の意味だったのです。(自らを義とするために)それにしてもファリサイ派の人々は断食をしていないイエスたちのことが、なぜそんなに気になったのでしょうか。それは、しばしば断食することによって‥、そのような敬虔な行いを積むことによって、より宗教的に深みのある人間になれるはず‥、という信念を彼らが持っていたからなのでありましょう。「我々は確かに、そのような高みを目指して日々、励んでいる。しかし、多くの民衆から支持されもてはやされているイエスたちは、そのような敬虔な行いを積むどころか罪人たちと一緒になって大宴会を始めている。彼らはやはり、偽物なのではないか‥、」というわけです。ファリサイ派の人たちはそのようなイエスたちが、多くの民衆の指示を得ていることにがまんがならなかったのではないでしょうか。しかしそれはやはり、神の御心からは遠く離れた想いだったと言わざるをえません。このファリサイ派の人たちが熱心に行っていたことは結局、自分のためでありました。自分自身を義とする‥、すなわち自分自身を正しい者とし人に対して誇りたいが故の行動であったのです。真に神のために断食していたわけではなかったのです。もし、彼らが真に神のために断食していたのであれば、今、何をすべき時なのか、時を読む、ということがきちんとできたのでありましょう。今は、断食をすべき時なのではなく、この地に神の正義を回復させるために行動すべき時なのだ、と‥、そして、イエスが「罪人」と呼ばれていた人たちと共に、宴会をしていたことの意味をも、正しく捉えることができたにちがいありません。(新たにされるために)今朝、私たちの溝ノ口教会は創立49周年を迎えました。神は、この地にイエス・キリストのからだなる教会をお立てになり49年、導いてくださいました。そして今、この時代に神はこの教会を用いて、どのような御業を起こそうとされているのでしょうか。今、この時代に、神が本当に望んでおられることは何か‥、私たちもまた神の言葉を、聖書を、表面的にではなく‥、また形式的にではなく‥、根本的に読みなおしていくよう‥、主イエスから促されているのではないでしょうか。本当の意味で新たにされるためには根本に立ち返ることが必要です。飛躍するためには、かがんで力を蓄えることが必要です。創立50周年を前にして私たちは今、再び神の言葉に‥、聖書の言葉に、深く深く沈潜していくよう促されているのだということをしっかりと心に留めておきたいと思います。
by mizo_church
| 2011-06-15 20:28
| 礼拝メッセージ集
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