日本キリスト教団 溝ノ口教会愛があります。笑顔があります。 |
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「神の国の秘密」牧師 竹島 敏箴言3:1-8 ルカ8:4-15 『ほかの種は良い土地に落ち、生え出て、百倍の実を結んだ』(ルカ8:8) (神の思い・人の思い)このルカ福音書のたとえは、何度も何度も聞いてきた話ですが、今朝は、聖書学者の加藤隆氏の主張に従って、4節から8節までをイエスのたとえ‥、そして、11節から15節までを福音書記者による説明、と捉えて読んでみたいと思います。この二つの段落を見比べてみると、おぼろげながら見えてくるものがあります。それはどこまでも忍耐して結果が出るのを待ち続けようとされるイエスの深い慈愛と、少しでも早くよい結果を出せ、と促し迫る福音書記者の姿です。主イエスは、「すぐには種は良い土地に落ちないかもしれないけれども、忍耐してこつこつとやり続ければ、やがて種は良い土地に落ちて百倍もの実を結ぶ‥、だからあきらめずに続けていきなさい」と促されました。しかし11節以下の福音書記者の方の説明には「そんなのんきなことを言っていては困る、と‥、早くよい土地になって次々と豊かな実りを実らせてくれなければ」という思いが隠されているような気がしてなりません。(あせりのゆえに?)この11節以下に示されているのは、人を明確に区別する姿勢です。道端、石地、茨の中、そして良い土地‥、人をこの四つに分けて「果たしてあなたはこの四つのうちどれか」、と迫るのです。イエスはそういう区別をする御方だったのでしょうか。そうではなかったというふうに私には思えて仕方がありません。あえて土地を人にたとえて説明されたのだとしても、主は、道端、石地、茨の中、そして良い土地‥、一人の人の中にこの四つの要素すべてがあるということをよくご存知だったのではないでしょうか。一人の人が時に神の言葉という種に対して、道端のような土地であったり石地のようであったり茨の中のようであったりする‥、しかしそれでも根気よく種を受けとめ続けていれば、きっと良い土地になり、それまでの失敗をはるかに超えて百倍もの実を結ぶようになる‥、主イエスならばきっと、そうおっしゃったのではないでしょうか。そうだとすればやはりこの11節以下の福音書記者による説明は「良い土地になれ、良い土地になれ、」とあまりにもせっかちに迫りすぎている‥、という気がします。具体的な事情はよくわかりませんが確かに、伝道の実りを早く得なければ‥、というあせりがあったのかもしれません。(人の思いではなく)あくまでも想像ですがルカ福音書のこの箇所が書かれた時代もまた、いわゆる伝道不振が叫ばれていた時代だったのでしょうか。あるいはそうではなくても、もっともっと伝道を‥、そして勢力を伸ばせ‥、と叫ばれていた時代だったのでしょうか。いずれにしてもこのようなことが叫ばれていてその叫びに応じるような形で、この11節以下のたとえの説明、が書かれたのだとすれば4節以下のイエスの「種を蒔く人」のたとえ、が意図していたことをはるかに超えて、人の思いがそこに入り込んでしまっていた‥、ということになります。「時にあなたたちは忍耐して待つことができず主イエスから託された業を自分たちの勝手な判断で切り捨ててしまっているのではないか‥」そのような鋭い問いかけを聖書から受けているような気がします。今、私たちはちょうど今年度のふりかえりの時を迎えていますが今朝の4節以下の「種を蒔く人」のたとえ、に示された、どこまでも忍耐して結果が出るのを待ち続けようとされる主イエスの深い慈愛に感謝しつつ、この一年の歩みを振り返り‥、新たな歩みを展望したいと思います。
by mizo_church
| 2011-06-15 20:32
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