日本キリスト教団 溝ノ口教会愛があります。笑顔があります。 |
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「輝いて生きる」牧師 竹島 敏イザヤ40:12-17 テモテI 6:11-16 『命を得るために、あなたは神から召され、多くの証人の前で立派に信仰を表明したのです』(テモテI 6:12) (志すべきこと)信仰とは一言で言えば神を信じ仰ぐことですが、それは同時に神が創造された人間を‥、つまり自分のことも隣人のことも、信じる、ということを含んでいます。確かにどうしても信じることのできない人がいる場合もあるでしょう。しかし、そのような問題を抱えていても人をできる限り信じようとすること‥、信じ合えるような関係を志していくことが神から促されていることです。それは神があの創造のはじめに「きわめてよい」とお語りになった、あの対等で平等な関係性を回復させていくことにつながっています。たとえいろんな人との関わりのなかで、信じ信じられる関係が築けずそのむなしさを埋めるかのように金銭の欲に走ったとしても、それでその人の命が満たされることは決してない、と聖書は語っているように思います。(輝きをとりもどす)確かに、私たちが神から与えられた命を本当にまっすぐに生き生きと輝かせられたのは、幼い頃のほんのひとときだけだったのかもしれません。幼かった子どもの頃‥、まだ人を疑うということを知らなかった‥、知らずにすんだ頃‥、その頃が神から与えられた命を本当に素直に輝かせて生きていた頃だったのかもしれません。だとすればそれは本当に短い期間のことでありそんな時期はあっという間に終わってしまう‥、そしてその後に、とにかく人の顔を見たらまず疑い自分の家につくまでは決して気をぬかない‥、という時期が始まってその時期を過ごしていくうちに、私たちの命の輝きはどんどん失われていく‥、ということだったのかもしれません。しかし今朝のテモテへの手紙はそんな私たち一人一人になお、希望を抱いて生きよ、と呼びかけているのではないでしょうか。11節にあるように「正義、信心、信仰、愛、忍耐、柔和を追い求めなさい」と。たとえ私たちが今まで様々な人間関係において傷つけられ自らの命を消耗してきたとしても、そのことで決して志を曲げてはならない、と。なお「正義、信心、信仰、愛、忍耐、柔和を追い求めて」生きていきなさい、と。そうすればきっと、永遠の命を再び十分にいただくことができる‥、命を得ることができる‥、と聖書はあまりにも傷つくことの多い私たち一人一人に、慰めと励ましの言葉を伝えているのです。(命を得るために)考えてみますと、永遠の命を手に入れる、とは、また、命を得る、とは、幼かった頃に与えられていた神からの純粋な命を少しずつでも取り戻していく、ということなのかもしれません。「正義なんて‥、愛なんて‥、」と、しらけてしまうのではなく、もう一度まっすぐに「正義、信心、信仰、愛、忍耐、柔和を追い求めて」生きていこうとすること、それはまさに、幼かった頃に与えられていた神からの純粋な命を取り戻していく旅なのであり、傷つくことによって失ってしまった自分自身を取り戻していく旅なのでもあると聖書は告げているのではないでしょうか。そのような生き方を再び取り戻していく時に私たちは、もう一度、命を輝かせて生きることができるのではないでしょうか。最後にもう一度、今朝の、12節後半の言葉を聞きたいと思います。「命を得るために、あなたは神から召され、多くの証人の前で立派に信仰を表明したのです」。神からの純粋な命を取り戻し、再び、命を輝かせて生きていくために、聖霊のお導きを、ご一緒に祈り求めたいと思います。
by mizo_church
| 2012-06-18 12:18
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