日本キリスト教団 溝ノ口教会愛があります。笑顔があります。 |
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「生ける神の都」創世記18:23-33/ヘブライ人への手紙12:18-29『このように、わたしたちは揺り動かされることのない御国を受けている』 (ヘブライ12:28) <もっと早く! ではなく>私達はなぜ、神をあつく信じ続けることがなかなかできないのでしょうか。私達はなぜ、信仰につまずいてしまうのでしょうか。神様はいないのかもしれない、イエス様もいないのかもしれない、と思ってしまうのでしょうか。それは、ひとつには私達がそれぞれに待ち望んでいる「救い」が、あまりにもおそい…と感じてしまうからなのではないでしょうか。こんなに「救い」を待ち続けているのに、いったい神様は、イエス様は何をしているのか…、と私達は疑い始めてしまうのです。考えてみれば私達が生かされている世界は、本当にスピードが要求される世界です。私達は知らず知らずのうちに、イエス様からの救いでさえも、「もっと早く…」と要求するようになってしまっているのかもしれません。しかしおそらく私達が求めるスピードよりも神様が事を起こされるスピードは遅いのです。今の私達から見れば神様はじつにゆっくりと、じっくりと事を起こし運ばれるのです。だから今の私達にとって必要なのは、もっと速くもっと便利に…、という価値観を追い求め続けてきた結果失ってしまったものを再び見つめ直す、ということなのかもしれません。そして「生ける神の都」をもっとじっくり、ゆっくりと見つめる、ということなのではないでしょうか。聖書は28節において、わたしたちは揺り動かされることのない御国を受けている…、と述べています。永遠の神の国はすでに、私達に近づきつつある…、と言っています。主イエスに従って生きていこうと志す限りにおいて、生ける神の都は私達に少しずつ近づいてくる、「私のため、私達のためのイエス様!…、」と求める生き方から、「イエス様のための私、私達!…、」という生き方に変わっていく時、生ける神の都は、私達に近づいてくるのです。 <主の願いを自分の願いとして>そしてそれは決して自分を犠牲にする生き方なのではありません。なぜなら、自分の想いのままに生き続けたら人間はいったいどういうことになるのか、毎日の新聞は次々と起こる悲惨な事件を通してそのことを私達に伝えているではありませんか。だから私達は何でもかんでも自分の想いのままにゆだねるよりもイエスにゆだね、イエスに従って生きた方がよいのです。そのことを悟り主イエスに従って生きていこうと志す時、主イエスの願っておられることが、私達の心に授けられます。フィリピの信徒への手紙2章13節には、「あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです」とあります。そのように主イエスは、ご自身の願いを私達一人一人の心に授けてくださり私達はそれを自分の願いとして感じ取ることになるのです。だから、主イエスに従って生きるということは、自分を抑圧することなのではなく本当の意味で、自らの命をまっとうしていくことなのです。 <聞き分け、命をいとおしんで生きる>私達の生きる世界にはあまりにも悲しいことが多すぎますが大切なのは自分の心の中でたえず動いている様々な想いからこの、イエスが授けてくださった願いをきちんと聞き分けていくことなのでありましょう。そして永遠に続く限りのない神の都を想って生きるならば私達は限りある命を喜びつつ、いとおしんで生きていくことができるのです。これが今朝、主イエスが、聖書を通して私達にしてくださっている、恵みに満ちた約束なのです。今日という一日の限りある命をいとおしみながら、この「生ける神の都」に向かって御一緒に前進していきたいと思います。
by mizo_church
| 2006-05-21 10:27
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