日本キリスト教団 溝ノ口教会愛があります。笑顔があります。 |
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サムエル記24・8〜18 ガラテヤ書6・1〜10
この世で最も充実した生を生きた人、ナザレで大工の子として生まれ育ち、友なき者の友となり、病を負い、人のために命を落としたイエス・キリストです。パウロはイエスの犠牲の死と復活を語りました。律法の縛りから解放するメッセージは人々の心を打ち、ガラテヤに集会ができました。しかし、パウロがその地方を去ると、「律法を軽んじている」と批判する者もあらわれたのです。パウロはそれに対して、キリスト教の中心となる教えを語ります。「人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされる。」と、神様の憐みのうちにキリストを信じ、信仰によって生きることを勧めます。信仰によって生きるとは、互いに重荷を担うことです。キリストの律法は、イエス・キリストの生前の歩み、そのものです。自分の救い、自分の安心、安全だけを求めるのではなく、隣人と共に生き、隣人の痛みを自分の痛みとしたイエスに倣い、互いに重荷を負いなさい。と、パウロは勧めます。 以前に、宗教者の会議で、被差別部落の学習会に出席しました。江戸時代の江戸では一割の人が被差別と言われる人たちだったそうです。江戸時代がまがりなりにも長く都市として機能したのは、部落があったからだそうです。仕事がなく食べ物がない人や、時に家族に見放された子ども、障碍者、お年寄り、いわゆる弱者と呼ばれる人たちが部落に行き、そこで食べものを与えられ、生活することができたのだそうです。その研修会で、兵庫の被差別部落出身の30代中頃の男性が証言されました。父親の助言で、差別が厳しくない東京で生活を送りましたが、時に、数万円の英語の本、米、あるいは高価な時計が着払いで送られてきたそうです。解放同盟の支部の方々にも同じことがおこりました。脅迫まがいのハガキや、結婚差別もありました。親族合わせて13人、被差別部落出身だとわかると結婚や婚約を断られた経験があるそうです。男性は幼い頃、学校から帰宅すると障碍をもつ妹を車椅子で押して、部落の周りを散歩させるのが日課でした。すると必ず、おじさん、おばさんから「今日は暑いね、元気かい」と、声をかけられるそうです。どうして親は、毎日欠かさず自分に妹の散歩をさせたのか、あとでわかったのは、父親はそうやって自分に覚悟させていたのだろう、ということです。偏見、この世の不条理にぶつかっても、小さな者に声をかける人々のぬくもりに接して、人間としての強さ、やさしさを身に着けるように。苦しさから逃げるのではなく、差別を乗り越え、苦難を引き受けるように、と。私たちは独りで自分の人生を切り開いているようですが、実は多くの人に守られ、支えられて生きています。たとえ、私達にとって避けたい人、苦手な人でさえ、私達を深い神様の恵みへと導く器となります。私達が与えられる重荷、それはキリストの恵みとなるのです。誰もが自分の十字架をもっています。わざわざ十字架を探す必要はありません。私達の十字架は充分重いのです。私達は、その十字架を、進んで自分の十字架として認め、背負う意志があるでしょうか。病、家族の問題、過去におった傷、苦しみ。それらは、どれ一つとして、自分から選んでものではありません。しかし、それこそが、私達の十字架なのです。この十字架こそ、キリストの十字架であり、それを背負うことによって、永遠の命にいたる道がひらけてくるのです。痛みこそが、弱さこそが、隣人と共に生きるすべを教えているのです。私たちの十字架は、イエスの十字架につながり、人を慰め、人に勇気を与え、隣人に奉仕するのです。
by mizo_church
| 2015-09-01 12:14
| 礼拝メッセージ集
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