日本キリスト教団 溝ノ口教会愛があります。笑顔があります。 |
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イザヤ52章
イスラエルの民は、バビロンの捕虜となっていました。塵に埋まるみすぼらしさ。首の縄は、自由を奪う道具です。弱い国の人々の命が軽く扱われるのは、今もそっくりです。彼らは、「何故、神は黙っておられるのか。私達が神の教えに背いたから、今、神は懲らしめを与えるのだ。」と苦難に意味を見いだし、悔い改め、救いを待ち続けたのです。 ついに、驚くべき予言がイザヤにくだります。「奮い立て、奮い立て、力をまとえ。シオンよ。・・・ただ同然で売られたあなたがたは、銀によらずに買い戻される。」無価値と見下された民を、神は彼らのまま救うのです。自分の子どもだから取り戻しにくるのです。子どもの名誉回復のためでなく、神のために。この世が正義と恵みである神の名前を再び知るようになるために、神は自分の民を取り戻しにいくのです。 待ち続けることが、いかに困難なことか。そして、いかに尊いことか。 ユダヤ人の心理学者ヴィクトール・フランクルは、「夜と霧」の中で解き明かしています。ナチス時代、ユダヤ人は、ヨーロッパ中からポーランドのアウシュビッツ強制収容所に送り込まれました。鉄道の引き込み線は、収容所の門でおしまいになっています。私は10年程前に収容所を訪れ、入り口の門のアーチ「働く者は自由になれる」と書かれたドイツ語を見上げました。ここをくぐった者は生きて帰れないという逆説。フランクルと新妻は、収容所の門で男女別々にされました。ガス室に行く者と働く者も瞬時に分けられました。骨と皮の同胞の姿。家族が死んだという情報を得た人は、翌日には希望を断たれ死んでいきました。フランクルが生きのびられたのは妻が待っているという確信があったからです。彼を待つ研究もありました。人生は自分の帰りを待っている! 解放の時がきます。「いかに美しいことか 山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え、救いを告げ、あなたの神は王となられた。」今まで、誰が私達の王だったのでしょう。バビロンか、収容所か、又、私達を悩ませ、私達に足かせをはめるものは何なのでしょうか。 生き残ったフランクルは、自由を奪われ極限状態に置かれた者が、解放される時に抱く危険に遭遇します。収容所の門を出た時、人は美しい花々を苦々しく踏み散らして歩くのです。奪われた自由を、今度は意のままに乱用して他者を傷つけてしまいかねないのです。傷ついた者に神の慰めが必要です。「主はその民を慰めエルサレムをあがなわれた。」 今、イスラエル国家が、先住のパレスチナ人の町を圧倒的な軍事力で破壊し、彼らを家から追い出しています。慰めよ!暴力の連鎖が後を絶たない世に、救い主イエス・キリストが来られるのです。 「立ち去れ、立ち去れ、・・・しかし、急いで出る必要はない。逃げ去ることもない。」神様は、私達一人一人の状態をよく知っておられます。体のことも心の揺れも、魂のありかも。辛いのなら、まだ不安なら、苦しいのなら、怒っているのなら、一人で泣きたいのなら、あなたのペースでゆっくり出よう、と神は言われます。奴隷の縛りから出て行こう、神があなたの前を導き、後ろを守るから、と励ましてくださいます。 愛されている子どもは待つことができます。神が共にいる「インマヌエル」。これは、救いの約束を信じてクリスマスを迎えようと備える人々が語ってきた言葉です。マリアもヨセフも。神の救いの約束を信じ続けること。希望の灯を絶やさないでいること。アドベントを過ごす今の私達に、もっともふさわしいことではないでしょうか。
by mizo_church
| 2015-12-15 21:29
| 礼拝メッセージ集
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