日本キリスト教団 溝ノ口教会愛があります。笑顔があります。 |
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「約束を受け継ぐ」出エジプト32・7~14/ヘブライ6・4~12『信仰と忍耐とによって、約束されたものを受け継ぐ人たちを見倣う者となってほしいのです』 (ヘブライ6・12) <約束されたもの>このヘブライ書の「約束されたものを受け継ぐ人たち」とは、まず誰よりもアブラハムのことであろうと言われています。ヘブライ人への手紙の著者は、このアブラハムを非常に強く意識していました。そして読者たちに、アブラハムの信仰を見習うようにと強くすすめているのです。では、12節に記されている「約束されたもの」とはいったい何なのでしょうか。神はアブラハムを始めとする聖徒たちにいったい何を約束されたのでしょうか。この「約束されたもの」という言葉は、ヘブライ書のなかに何度となく出てきますが、特に11章によく出てきます。今朝は11章のところもご一緒に見ていきたいと思うのですが、11章の9節には「信仰によって、アブラハムは他国に宿るようにして約束の地に住み、同じ約束されたものを共に受け継ぐ者であるイサク、ヤコブと一緒に幕屋に住みました」とあります。また、11章の33節には「信仰によって、この人たちは国々を征服し、正義を行い、約束されたものを手に入れ、獅子の口をふさぎ、」とあります。ここで言われている「約束されたもの」とは、主に土地のことでありましょう。11章の9節にはアブラハムが「約束されたもの」すなわち「約束されていた土地」に住んだ、と書かれています。このようにしてアブラハムは神から約束されたものの一部を受け取った…、受け継いだのです。 <次の世代の人々と共に受け継ぐ>しかし、11章の13節を見ると「この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです」とあります。また11章の39節にも「ところで、この人たちはすべて、その信仰のゆえに神に認められながらも、約束されたものを手に入れませんでした」、とあります。続く40節には、この人達がすべて、約束されたものを手に入れなかった理由が記されており、「神は、わたしたちのために、更にまさったものを計画してくださったので、わたしたちを除いては、彼らは完全な状態に達しなかったのです」と言われています。そして6章11節において著者は「あなたがたおのおのが最後まで希望を持ち続けるために、同じ熱心さを示してもらいたいと思います」と語っています。 <はるかに望み見て>「最後まで希望を持ち続ける」…、希望をもって生きることが本当に困難な今の時代、しかし主イエスから与えられる希望は決して尽きることはないと覚えておきたいと思います。それは主から約束されたものを完全に受け継ぐことはできなくても自分の後に続く人達が受け継ぐにちがいないという希望です。そのことをはるかに望み見ながら歩む時、私達はすでに、次の世代の人達と連帯しようとしているのです。そして、そのようにして主が約束されたものは受け継がれていき、やがて成就した時初めて、その主が約束されたものを少しずつ受け継いだ全ての人々の上に喜びが満ちるのです。天において、また、地において、そのような喜びが満ちるのです。私達キリスト者が受け継ぐ約束されたものとは、そのようなものであるということを今朝、再び、覚えておきたいと思います。そして主イエスが私達の共同体に、また私達一人一人に、どのような約束を新たにお与えになろうとしているのか、敏感に信仰的感性をもって感じ取っていきたいと思うのです。そしてはるかに望み見ながら、その約束に仕えていきたいと思います。
by mizo_church
| 2006-10-15 11:37
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