日本キリスト教団 溝ノ口教会愛があります。笑顔があります。 |
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「ともし火のように」創世記9・8~17/ルカによる福音書11・33~41『ともし火をともして、それを穴蔵の中や、升の下に置く者はいない。』 (ルカ11・33) <ほのかに照らす光>今朝のルカによる福音書のキーワードは「ともし火」です。決して強い光ではないけれども、決して消えることもなく人々をほのかに照らし続ける光、そのようなともし火のような存在がイエスの言葉であり、また、イエスご自身である、と聖書は語っています。私は、イエスの言葉、また、イエスご自身が、ともし火のような存在である、というこのことにとても大きな慰めを感じます。決してまばゆいほどの強い光ではなく、むしろ弱い、小さな光、しかし、決して消えることがない…、どんなに強く風が吹こうとも消えることがない…、消えそうになっても決して消えないこの、ともし火に、私も支えられて、これまで生きてきた、生かされてきた、ということを想います。 <永遠にともり続ける命の光>私達の世には私達をキリストの愛から引き離そうとする様々な試みがあります。私達の世には私達の内側に与えられているともし火よりももっと強く見える光、荘厳に見える光、高価に見える光が確かに存在しています。そしてその光が私達を強く引きつける時もあるのでしょう。けれども私達はこのことを知っておかなければなりません。どんなに強く魅惑的な光も、一時的なものであり永遠に続くものではないのだ、と。私達がイエスをキリストと信じる告白をした時に、私達一人一人の内側にともされたともし火…、このともし火こそ決して消えることなく永遠にともり続ける命の光なのです。この世の命を終えてなおその人の存在の内側から、その人を照らし続け、地上に遺された者達に、その人の存在を天から力強く証しする光…、それが、私達一人一人の内側にともされているともし火なのです。今、自分を演じ続けることに疲れ果て、自ら死を選ぶ人が後をたちません。しかし今朝、私達は、どんな時も、この自分の内側に、イエスキリストというともし火が、ともっているということを…、そして、このともし火は、時に消え入りそうになっても決して消えず、永遠にこの私を照らし続けてくださるのだ、ということを、覚えておきたいと思います。そしていつか、この世の生涯を走り終え、天に召されるその時まで、このともし火に照らされて、このともし火のようなあたたかさを私達自身が放ち、この闇の世に、主イエスのぬくもりをせいいっぱい証していきたいと思うのです。
by mizo_church
| 2006-11-05 11:30
| 礼拝メッセージ集
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